私たちは、ものごとをありのままに受け入れているようで、できていません。
なぜなら、自分の主観を入れ、瞬時にジャッチしてしまう癖がついているからです。
話しを聞きながら「私ならこうだ」「それは非常識だ」「好きだな」「嫌いだな」「合いそう」「合わない」など、いろんなジャッチをしながら聞いています。
1つの状況を見て伝える時、多くのことに自分の主観的な見方や判断をして伝えることがあります。
癖になっているので、意識的にあるがままに受け入れることをしなければ、気がつかないことがほとんどでしょう。
自分を変えるステップ1の「気づき」があったとしても、気がついたことをあるがままに受け入れることができなければ、次のステップ「選択する」ことができません。
自分にあるパターンに気がついても、自分にあると受け入れられなければ、気がついただけであって他人事です。
自分にそれがあったとしても、本人はあると思えていません。
透明の荷物のようなものです。
透明の荷物である限り、いくら荷物を持っていても、本人には見えませんので「そんなものない」「え?何のこと」となるわけです。
「何度言っても伝わらない」「聞く耳を持たない」というのもこれと同じです。
自分を変えるためには、自分にあるものをあるがままに受け入れることが必要になります。
「疲れている」「起こっている」「嫌いだ」「やりたくない」「関わりたくない」「苦手」「できない」
「私は休みたい」ということに、休む=怠け者というジャッチをしてしまえば、「私は休みたいけど、怠け者がすることだ」としてしまえば、休むことが悪いこと、休んでいる自分を責めることになります。
そうすると、休む必要があっても休もうとしなくなってしまいます。
どんなことも、まずは、あるがままに受け入れることです。
それが「ある」と受け入れると、次に、それを持ち続けるのか、手放すのか、何に持ち変えるのかという選択のステップがやってきます。
RIRI