執着とは、ある出来事や人、物などにしがみつくことです。
うまくいっていないこと、過去の出来事、言葉、傷ついたことに執着している人もいれば、すでに得ているお金、物、環境に執着している人もいます。
どちらも、執着をすることで流れをストップさせてしまうことは同じです。
執着の思いが強ければ強いほど、あなたの人生は頑なにブレーキを踏んでいるのと同じようにストップをします。
変わらぬ日常に、ストップしているように思えないかもしれませんが、あなたが本当に求めていることの流れをストップさせてしまっていることが多いでしょう。
それが、日常生活にあまり影響のないことの場合、あなたは執着していることに問題を感じません。
しかし、本当に求めていることが手に入らない虚しさや孤独、苦しい思いをしているあなたもいます。
なかにはすっかり諦めてしまっているかもしれませんが、ここにはとても大きな成長のステップがあります。
執着を手放すには、その物事の本質を見ていく必要があるでしょう。
あなたは辛い体験をしたかもしれませんが、そこにある本質的な問題に目を向けていくことです。
深い部分です。
同時に、自分が本当に求めていること、本当にやりたかったことの本質にも目を向けていきます。
あなたは、特定の人から愛されたかったかもしれませんが、あなたが本質的に求めたことは「愛される」ということです。
特定の人に執着している限り、あなたは「愛される」ということを受け入れません。
特定の人だけにこだわり、特定の人だけしか受け入れようとしませんので、周囲にたくさんの愛があったとしても、あなたは「愛される」体験を拒むでしょう。
しかし、本質的な「愛される」ことを求めていることに気がつけば、あなたは特定の人への執着を手放せるようになります。
家族や友達の愛を受け取れるようになるでしょう。
新しく出会う人から愛されることを楽しめるでしょう。
あなたが執着を手放せば、あなたの周りにある愛に気が付き、受け取ることができます。
新しくやってくる出会いや愛を歓迎し、恋を楽しみ、パートナーから愛されるという体験ができます。
もう1つ、ここにある執着をご紹介しましょう。
自分を愛してくれない人への執着は、「自分は愛されない」という体験への執着です。
自分は愛されないんだ!ということを、深い部分で信じています。
「ほら、私は愛されないんだ」「また愛されない」それを証明するかのように、それを誰かに認めてもらいたくて「愛されない」ことに執着します。
本当は愛されたいのに「愛されない」ことで必死に自分を見てもらおうと叫んでいる心がいます。
愛されない出来事や愛してくれない人に執着している間は、「自分は愛されない」という体験に執着しているのと同じです。
それにしがみついている限り、愛されるという体験はやってきません。
あなたが「愛されない」ことに執着していることに気がつき、手放していくことで、愛されるという体験を招き入れることができます。
このように、あなたが執着している出来事、人、ものがあるのなら、そこに隠された本質的な部分に目を向けてみてください。
探ってみてください。
過去のことだからもういいんだ!と言っても、その過去のことが忘れられないのなら、なんらかの執着があるでしょう。
執着の多くは過去のことです。
あなたの過去の執着を解放してあげることで、あなたの今が動き出します。
愛と光の中で
古のラマ僧 TOSHA
チャネリング RIRI